最終バス乗り過ごしたあとに。

アラフォー音楽家が書く雑多なブログ。

hideの命日に (再考)

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今日は5月2日。一年前の今日、20年前のこの日にに起こった悲劇を思い出してブログに書いたのでもう一度同じ日に書いてみようと思う。

 

hideの命日に思うこと。 - 最終バス乗り過ごしたあとに。

 

あれは忘れもしない夏休みも終わりに近づいた93年の8月25日。ロック好きのYと映画を観に行った帰りに「ちょっと買いたいCDがあるから」とCD屋に立ち寄った後Yの家で聴かせられたのが”ART OF LIFE”だった。全部英詞でしかもHR/HMの曲なんて人生初めて聴くし、ピアノソロも「なんじゃこりゃー」だったけど、Yが言うには「どうせ途中で飽きるかな思ったけど最初から最後まで真剣に聴いてた」と25年経った今でも言ってくるくらい「とにかくなんか凄いこれ」と聴き入っていた気がする。特に2回目サビのバイオリンソロは二胡みたいな音色で美しく印象的だったのは覚えている。お化粧バンドっていう偏見や嫌悪感も忘れるくらい凄かったけど、後ジャケのアー写の一人に何故か惹きつけられていた。それがhideだった。

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「なんだこのピンクい髪は」

それまで見たお化粧バンドのクオリティとは全然違い、そのアー写の赤髪の人は同じ人間とは思えないくらい存在感で正に漫画のキャラクターが具現化して出てきた人って感じだった。

 

それから少しして後々バンドメンバーとなる大のXファンのSと知り合いになった。放課後になると半ば拉致気味にSの家に連れていかれまるで洗脳の如くXのCDやビデオを聴かされ観まくらされ、1ヶ月も過ぎた頃にはすっかりXに染められていた。

Xと言えばその中性的な美しさでピアノを弾いたかと思えば半裸になってアスリートの如く高速ドラムを叩くYOSHIKIだと思うけど、自分の中ではやっぱり赤髪のhideで、いくらSの洗脳(余談だけどXの話をする時に「洗脳」って言葉を用いると何か妙な気分になりますね)があったとは言えhideがいなかったらXにハマっていなかったと思う(後にバンドを始めるにあたりドラムをする事になってからは少しずつYOSHIKI派になっていくんだけども)。年末になるまでにはすっかりハマってて「X、2年ぶりのライブを年末に東京ドームで」と新聞の記事を見つけすぐさまSと共に興奮したりしていた。

 

それから年が明けてシングル”DICE”が発売されると速攻で買いに行った。

マイナーのギターフレーズのイントロから始まる3分弱のシンプルなロックソング。シンプルなんだけどAメロからサビに移りイントロ部を挟んでまたAメロに戻るかと思いきや少し変則的なサビになる。コードは同じだけどメロディが上がって変化をつけているし、最後のサビもハモりを強調した感じとリズムもスネアで4拍打って「ラスト感」を強調させていて同じ展開がない。シンプルなんだけどギミックは忘れないというか直球なようでやや変化球的な曲。

その後直ぐに出た1stアルバム”Hide Your Face”の初回盤はH・Rギーガーによる仮面の立体的なオブジェで、開けるとhideの顔が出てくるという凝ったものだった。確か通常盤より200円くらい高かったと記憶してる。クラスや周りの友人らはこぞって買っていたけど実は何故か自分は買わなかった。その時お金がなかったのかどうか覚えてないけどその代わり同時期に出たMV週のビデオは買った。多分自分の中でhideは音よりもビジュアルだったんだと思う。

シングルの”Eyes Love You”や”Dice”は勿論、”Eyes〜”のアウトテイク素材で作られた”OBLAAT”、アメリカのレディースバンド"L7”のメンバーが出演した”DOUBT”のMVをメインにちょっとしたオマケ映像を収録したビデオでの一番の見所はオープニング。93年末のXの東京ドーム公演のソロコーナー「Hideの部屋」直前の映像。勿論その公演は見に行けなかったし、もう少ししたらライブビデオが出るんだろうなと思っていたけど(なんとこのライブが発売されたのはそれから15年後…)、少しでも最新のXのライブの雰囲気やhideの映像が観れる貴重なものだったし、あと当時15歳だったので、そんな小童には刺激の強い映像でもあった。。

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Burny MG-X 通称「Shocking Pink」

93年"Eyes Love You”のMVで初登場。

年末のドーム公演でのソロコーナーや

翌年の1stソロツアーで使用された。

 

それからソロツアーをした後の約2年間は沈黙状態。Xでの恒例のドーム2DAYSやツアー(95年11月からのダリアツアー)を行うものの「Xのレコーディングとかで忙しいんだろうか」と思っていたところに「ツアー中にYOSHIKIが倒れる」「ツアー中止」のニュースが。再起不能的な情報もあったりして「アルバム出るんか?」と不安になったりした。そんな中で96年春に「Lemonedレーベル」の設立、レーベルのサンプラーCDとビデオが発売される。音源と映像は共に"限界破裂”と”Bacteria”の2曲の新曲収録。約2年ぶりに新曲と「動くhide」が観れた。そしてその直後に久々のシングル”Misery”、2ヶ月後には”Beauty&Stupid”も発売され、トントン拍子に2nd”PSYENCE”もリリースされた。

 

この頃辺りからhideは作風のみならずビジュアルにも変化が現れる。1stまでは「Xのhide」然としたメイクやロングヘヤー、ギターも初期hideの代名詞である「ペイント」かブラックのMGだったのが、髪もバッサリ切って蛍光色の衣装やでポップになっていく。

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初期のメインモデル 通称「ペイント」

 

ギターはMGシェイプはそのままにレモンドロップとチェリーサンバーストへとバージョンアップ。

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Burny MG-X "cherry sunburst"

中期(95-96年)のメイン機。初登場は94年末の東京ドーム公演で

Week EndやStanding Sexなどの半音下げの曲で使用。

その後2代目機からはサスティナーが搭載される。

 

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 Burny MG-X "Lemon Drop"

初登場は94年末の東京ドーム公演。

新曲として演奏したドロップDチューニングの"Scars On Melody"や

2nd solo tourでも使用された。

 

作風もローファイ〜オルタナティブ系、HR/HM系の音からベビーロック風アプローチへ。当時のアメリカの音「アフターニルヴァーナ」やマリリンマンソンのブレイクなどの影響など細かく言えば更にもっとあったのだと思う。伴って歌い方のバリエーションも増えた。特に注目されたのがリカットされたシングル「Hi-Ho」。それまでの彼のイメージないし「ヴィジアル系」と言えば「黒」「赤」「灰色」などモノトーンかはっきりとした暗めの色だったのが、この曲ではサンバのリズムに乗って脳天気に「ハーィホーゥ」と歌われ三原色の似合うカラフルなものに。そんな自分も当初は「これはちょっと…」と受け付け難かった。

全16曲、最小限の人数と時間で作られたというこのPSYENCEは未完となる次作”Ja,Zoo”を合わせても異色の作品。この頃はもうイメージ的にもスタンス的にも「Xのhideのソロ」ではなく、「Xに参加しているソロアーティスト・hide」という感じになっていた。バリバリに作品をリリースをしたりツアー回ったりするだけではなく、レーベルの設立や関連のイベント、コンピレーションCDのリリースや世界デビューを予定していた別バンド"Zilch”の活動などなど。いくらレコーディングで停滞してるからと言って世界デビューを控えている母艦(X)は大丈夫なのかなと懸念していたけども(実際各々のソロ活動が解散の要因の一つでもあったと後にYOSHIKIは発言)。

そして翌年、Xは解散。XのラストライブではMGシェイプの最終形態で、且つhideの最大のイメージにもなる「イエローハート」をメインにノーマルチューニング曲で使用された「グリーンハート」が登場。

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Burny MG-X "Yellow Heart"

後期のメインモデルで96年末のDAHLIA TOUR FINALで初登場。

 

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Burny MG-X "PSYENCE"

96年末のDAHLIA TOUR FINALで初登場。

夜光塗料で発光し、ドロップDチューニングである"Scars"演奏時に使用された。

 

hide with spread beaverとしてリリースされた3部作「ROCKET DIVE」「ピンクスパイダー」「ever free」はライブで披露された事はなく、歌番組などでのプロモーションではギターを持つ事はなかったので結果的にXのラストライブがギタリストとしての最後になってしまったが(例外としてROCKET DIVEのMVの中でJG-customを使用している)、MGから離れ新たなシェイプのモデルを開発中だったらしいので(そのギター製作の打ち合わせがあの運命の日(98年5月2日)だったらしい)残念でならない。

 

もしあの日が別の98年の5月3日を迎えていたなら(コ・プロデューサーのINAやspread beaverが作ったものとは違う)本来の"Ja,Zoo”を引っさげ、新しいギターで7月からツアーを回り、マリマンとのジョイントライブをZilchと共に行って…と追憶してしまう。

「チャートが壊れる瞬間っちゅーのをちゃんと確認したいよね。当事者としては」

ソロアーティスト・hideが日本のマーケットを如何に壊して新たに作り上げていくか、そしてその先で海外でどういう展開をしていくか本当に楽しみにしていた。あの当時それが出来る能力を備えそこに意識的だったのはきっとhideだけだったと思うから。

「なんちゅーか、洋楽コンプレックスの逆?なんって言っていいか分からないけど、そういうのが逆に海外では武器だなって」

 

あれから20年が経ったけどあらゆる面でhideの様なアーティストは現れていない気がする。今はあの頃と状況も違うし、それは仕方の無い事だとしてもそれでもこれからhideを超えるようなアーティストが現れる事に期待してます。壁が崩れる瞬間は必ず来ると信じて。